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小林和作 1888ー1974
KOBAYASHI、Wsaku
秋山
80、5*100、0 油性、カンヴァス
1888年山口県生まれ。1908年京都市立美術工芸学校を卒業、川北霞峰に師事し、 また絵画専門学校に進んだ。1913年文展に、「志摩の波切り村」を出品して褒状を受け る。1919年頃から洋画に転向し鹿子木孟郎に師事。1925年のから二年続けて春陽会 賞を受賞、1927年会員となったが、1937年春陽会を離れて独立美術協会会員になる と共に、尾道に転居して終生を暮した。1974年死去。この作品は小雨が降りかかる全山 紅葉の秋山の風情を、和作らしい生な色彩のすばやいタッチで表現している。
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南 薫造 1883ー1950
MINAMI,Kunzo
夏 1919
116.7*91.0 油彩、カンヴァス
1883年広島県安浦町生まれ。1907年東京美術学校卒業、イギリスに留学。富本憲吉や白瀧
幾之助らと交遊する一方、ラファエル前派などイギリス世紀末美術の影響を受ける。その後パリに渡
り、1910年に帰国、雑誌「白樺」の主催で有島生馬と二人展を開催し、新時代のホープとして注
目された。1950年死去。この作品は1919年の第1回帝展に出品された代表作のひとつで、
筆使いには印象派、雲の装飾的な扱い、アーチ形の画面などにはイギリス世紀末美術の影響が感じら
れる。
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池田 遥邨 1895ー1988
IKEDA, Yoson
林丘寺 1926
146.0×142.0 絹本着色 2曲1隻
1895年岡山県玉島町(現倉敷市)生まれ。1912年大阪の天彩画塾で洋画を学ぶが、 小野竹喬の勧めで日本画の道を歩み始める。1928年第2回帝展 で「雪の大阪」が特選。1984年に文化功労賞、1987年には文化勲章を受賞している。 1988年死去。林丘寺は京都修学院村にある寺院で、京都市立絵画専門学校に在学中に描 いたものである。ここで大胆な俯瞰図を試みているが、点景としての人物や動物の表現に遥 邨芸術の特色がすでに見られる。
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平櫛田中 1782-1979
HIRAKUSHI,Dentyu
寿星
47.0 木,彩色
1872年岡山県井原市生まれ。1982年福山市今津町の平櫛家養子となる。1893年彫刻家中谷省古 に弟子入り、後に高村光雲に師事。1935年帝国芸術院会員、1944年東京美術学校教授となる。1954 年文化功労者。1958年第43回院展に20年をかけた超大作「鏡獅子」出品。1962年文化勲章授与。 1966年には福山市名誉市民となる。1979年死去。この作品は白髪を垂れ、杖を携え、鹿を伴ふと いう寿老人の姿であるが、卓越した技術と精緻なる着彩がすばらしい。
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須田国太郎 1891ー1961
SUDA,Kunitaro
冬の漁村 1937
48、5*59、7 油彩、カンヴァス
1891年東京生まれ。1913年京都帝国大学文学部に入学、美学美術史 を専攻、大学院に進む。1917年関西美術院でデッサンを学び、1919年から4年間渡欧。 主としてヴェネツィア派とスペイン絵画を研究した。1934年独立美術協会会員となる。 1961年死去。この作品は寒村の屋根の並びわ俯瞰構図でまとめられ、随所にいかにも 東洋画風の処理である墨のような黒い線が走る。しかし堅固な空間把握と、重厚な質感に は、ヨーロッパから受け継がれた油彩画の歴史がはっきりと感じられる。
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白瀧幾之助 1873ー1960
SHIRATAKI,Ikunosuke
帽子の婦人 1905ー10
72.3*53.0 油彩、カンヴァス
1873年現在の兵庫県朝来郡生野町生まれ。1896ー98年東京美術学校に学ぶ。
1904年ニューヨークへ渡り、1906年ロンドン、1907年にはパリでラファエル
・コランに師事、1908年再度ロンドンに滞在、1910年帰国。1920年第2回帝
展より同展審査員となる。1952年芸術院恩賜賞受賞。1960年死去。この作品は滞
欧中の作品であるが、外光表現をとりいれた穏健な写実主義が瑞々しい。
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赤松麟作 1878ー1953
AKAMATSU,Rinsaku
裸婦
80.3×60.6 油彩,カンヴァス
1878年岡山県津山市生まれ。1897年東京美術学校西洋画科選科に入学。黒田清輝に師事し、
在学中から黒田が主宰する白馬会に出品。1901年第6回白馬会展で「夜汽車」が白馬会賞を受賞。
1907年大阪梅田に赤松洋画塾を開設する。美術教育にも尽力し、その功績で1948年大阪府文芸
賞受賞。1953年死去。人物の表現に定評があったが、この作品も豊富な裸婦を堅実な筆致で描いて
いる。
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