日本の近・現代美術






中西夏之 1935-
NAKANISHI,Natsuyuki
紫・むらさきXI 1982
227.0×181.5 油彩,カンヴァス

 1935年東京生まれ。1958年東京芸術大学油画科を卒業。1962年頃より日常的事物をアクリル樹脂 で固めた「コンパクト・オブジェ」を制作。高松次郎、赤瀬川源平らと「ハイ・レッド・センター」 を結成、街頭でハプニングを行うが、1966年より再び絵画に復帰する。この作品は1982-83年にかけ ての連作「紫・むらさき」14点のうちの1点。白による弧の交線の集合に紫が侵触しつつある図柄で、 白と紫の色彩関係が新鮮である。





山田正亮 1930-
YAMADA,Masaaki
Work E.277 1987
182.0×259.0 油彩,カンヴァス

 1930年東京生まれ。1953年に長谷川三郎に師事。1954年東京大学文学部を中退。在学中より モランディ、セザンヌに関心を持ち静物画を制作。1956年頃より絵画の平面性を強くうちだし、 方形の画面にアルバース風の作品を描いた。その後30年に渡り段階を踏みながら、単一な平面 としての絵画から、生成の場としての多様な表面の絵画に移行。この作品は1987年第19回サン パウロ・ビエンナーレの出品作。線は描かれている状態で形態になり、色彩は相互に抑制しな がらその階層性を増幅させている。





荒川修作 1936-
ARAKAWA,Syusaku
緩慢な動きのなかの認識できないものを調整し続ける 1973-74
165.0×246.5 油彩,アクリル,カンヴァス





河原温 1933ー
KAWAHARA,On
[Nov.10、1987] 1987

1933年愛知県刈谷市生まれ。50年代前半より<浴室>シリーズや<物置小屋>シリーズで 注目される。1961ー62年メキシコで制作。1965年よりニューヨークに住む。1966年 より「日付絵画」を描き、1968年より「IMET」「I WENT」の記録ファイルを制作。 1968ー79年、毎日の起床時刻を記した絵葉書を知人に送る。1977年パリ、ポンピドー・ センターで個展開催。この作品は「日付絵画」のひとつであるが、時間という記号を物質化して提 示したものである。





山口長男  1902ー1983
YAMAGUCHI,Takeo
堰形 1959
183.0*274.0 油彩,カンヴァス
1902年京城(ソウル)生まれ。1927年東京美術学校西洋画科卒業後、渡仏し、佐伯佑三と 交遊。1931年帰国し、二科展に抽象的作品を発表、1938年には吉原治良、斎藤義重らと二科 九室会に参加。1961年度芸術選奨文部大臣賞受賞。1983年死去。限られた色彩と形態による 厳しい抽象表現の追求は、1933年頃からはじまったが、戦後は黒の地色に黄土色、赤茶色の単一 色を用いてユーモラスで人間味あふれる抽象画を描いている。この作品は1964年第7回サンパウ ロ・ビエンナーレ出品作。





岡田謙三  1902ー1982
OKADA,Kenzo
海辺  1937
145、5*112 油彩、カンヴァス

 1902年横浜に生まれ。1922年東京美術学校西洋科に入学するが、 翌年中退し渡仏、パリで藤田嗣次らと交流。1927年帰国後は作品制作に没頭、 二科会中心に発表を続け、甘美な女性像と叙情的な作風で人気を博した。 戦後は渡米し、独自の抽象表現に到達、アメリカ画壇で国際的な地位を 築く。1982年死去。この作品は二科会会員に推挙された年の出品作で、 後年の展開を予期する構成力と滋味ある色調で人物群像を詩的な画面に まとめ、初期の代表作のひとつである。





村井正誠 1905-
MURAI,Masanari
四つのパンチュール No、2  1937
60*70、0 油彩、カンヴァス

 1905年岐阜県に生まれ、幼時は、和歌山に過ごした。1925年文化学院に入学し石井柏亭、 有島生馬らに師事。1982ー38年フランス留学、欧州の印象主義の洗礼を受け、帰国後は二科展、 独立美術協会などに、出品する。後に自由美術協会の創立に参加、戦後はモダンアート協会を創立した。 この作品は第四回自由美術協会展に出品され、単純化された色面構成と明快な諧調が印象的な初期の 代表作。日本の抽象絵画パイオニアとしての充実した仕事ぶりがうかがえる作品である。





斎藤義重 1904−
SAITO,Yoshishige
ワーク 1962
137.0×242.0 油彩、合板

 1904年東京生まれ。1920年ロシア未来派の亡命画家ダヴィッド・ブルリュークらの 展覧会を見て大きな衝撃を受けた。またロシア構成主義やダダイズムの影響のもと、1930 年ごろから構成的、抽象的な作品を制作し、二科展、黒色洋画展、美術文化協会などに参加。 ヴェネツィア・ビエンナーレなど多くの国際展にも出品。1960年ごろから、画面に電気ド リルで穴や線溝を刻み込む手法を用いた〈作品〉シリーズを発表。この作品もその転換期に位 置する重要な作品である。





東郷 青児 1897ー1978
TOGO, Seiji
星座の女 1944
235.0×89.0 油彩、カンヴァス

1897年鹿児島市生まれ。1915年山田耕筰のフィルハーモニー赤坂研究所 の一室にアトリエを提供されて制作に励む。1916年初出品の「パラソルをさせる女」 がいきなり仁科賞を受賞、同会の早熟なスターとなる。 1912年渡仏しマリネッティを訪ね、未来派運動に参加した。1978年に死去。 この作品は未来派の実験をくぐりぬけて、簡潔な構成と陶器のような肌合いを持つ、 大衆性の強い絵画の道を歩んでいくまでの節目をなすものである。





三木富雄 1937ー1978
MIKI,Tomio

1978年東京生まれ。東京衛生技術学校中退後、独学で美術を学ぶ。1958ー63年読売 アンデパンダン展に出品。1963年内科画廊の個展で初めて「耳」を出品。1967年には 第五回パリ青年美術家ビエンナーレ展でアンドレ・シュス夫人賞を受賞。1968年ヴェネツ ィア・ビエンナーレ、1969年サンパウロ・ビエンナーレに出品。1978年40歳で急逝。 60年代に活躍したアヴァンギャルドの代表のひとり。耳を通して人間存在のあり方を問い続 けたが、この作品もそのひとつである。





北川民次 1894−1989
KITAGAWA,tamiji
女のつどい 1954
112.0 × 162.0 油彩,カンヴァス

   1894年静岡県生まれ。1913年早稲田大学を中退し渡米。ニューヨークでジョン・スローン に師事。1923年メキシコのサンカルロス美術学校で学び、1924オロスコ、シケイロスら と交流。1931年野外美術学校(タスコ)校長となる。1936年帰国、翌年二科会会員とな り、日本の風土とメキシコ美術のたくましい造形性を融合した画風で、民衆と愛をテーマに描く。 1989年死去。この作品は1954年だい39回二科展出品作。簡潔な形と明確な輪郭線を用い て、女性の力強い生命感を表現している。



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